諭吉

友人と飲んで別れた後、道端で一万円札を拾った。

 


最初は自分のものにしてしまおうと思った。今日の飲み代浮いたとか、これでスニーカーでも買おうとか、酔った頭で考えながら、少し浮ついた気分で帰路についた。

だけど後から怖くなって、こういう時、他の人ならどうするのが一般的なんだろうと思い、家に帰ってから「1万円札 拾った」でググった(こういう頭の悪い検索の仕方でもちゃんと欲しい情報が得られるからインターネットってすごい)。

 


とあるブログによると、どうやら落ちているお金は1円でも自分のものにすると横領罪になってしまうらしく、1週間以内に警察へ届け出なければいけないようだ。特に1万円以上は「貴重品」という扱いになり、その罪はより重くなるらしい。

この情報を見て、明日交番に届けることを決心した。

 


お金を拾って交番に届けること、これはどちらかと言うと善行に含まれるのかもしれない。

だけどもし、インターネットで検索した結果、そこに「そんなの犯罪じゃない」って書かれてあったのなら、自分はきっと横領していたと思う。

自分の中の正義とは所詮、法律に左右される程度のものなのか、と思った。ちょっとだけ落ち込んだ。

父親の夢

久々に父親の夢を見た。

 


父と兄と俺の3人で、水の敷かれている暗い空間の中を、3人がギリギリ乗れるくらいの小さな船で、ゆっくりと進んでいた。風景は何も無くただ真っ暗で、激しく揺られるわけでもなく、3人のうち誰かが操縦しているわけでもなく、ただ機械的にゆっくりと揺られながら船が進んでいるだけなのに、なんだか楽しいと感じていた。たぶん3人で久々に遊園地に来て、アトラクションに乗っていたのだと思う。現実でこんなアトラクションがあったらクソだけど、久々にこの3人で遊んでいるという事実そのものが楽しかったのだと思う。

 


しばらく船に揺られていると、次第に「これは夢だ」と認識できるようになってきた。自分の場合、夢の中で夢だと自覚できることは珍しいので、少しだけそのことに驚いた。

父親が今日一日遊んでくれたお礼にと、財布から3万円を取り出して渡してきた。俺はお金を受け取りながら、「父さんと遊んでやったらお小遣いくれるけん良いわぁ」と冗談っぽく言った。

 


もうじき夢から覚めると悟ったとき、自然に自分の口が開き、

「父さんが死んでしばらく経つけど、こうやって(夢の中に)化けて出てきてくれるけん、全然寂しくないよ。俺も頑張るけん、また遊びに来てな。」

と、父親に伝えることができた。父親の生前、こうして父親に素直な気持ちを伝えられたことがどれほどあっただろうか、と思った。

返事を聞く前に、父親は消えていた。

 


夢から覚めると、朝の5時だった。

起きてすぐ辺りを見渡したけど、3万円はどこにもなかった。ちょっとだけ泣いた。

 


結構前にTwitterか何かで見た話だけど、

視覚的な情報よりも聴覚的な情報のほうが記憶しにくく、そのため人が死んで時間が経つと、周りの人はその人のことを「声」から忘れていくらしい。

 


今日、夢の中でだけど、はっきりと父親の声を聞くことができた。これでしばらくはやっていけそうだと思った。